第二場
聖鎧Brunnhilde
戦の結果は良くなかったみたいだわ。
護朔様が勝ち誇っているもの。
お父上、貴方の娘は何を聞かねばならないのですか。
何かご気分が優れないご様子です。
統智Wotan
(腕を力なく下げ、頭を襟首に埋める。)
自分自身の枷に囚われた。
儂は最も自由を奪われた俘虜だ。
聖鎧Brunnhilde
その塞ぎようは今まで見た事が在りません。
何が御心を苦しめているのでしょう?
統智Wotan
(此処からヴォータンの表情と身ぶりは恐るべき爆発にまで高まっていく。)
於戯!聖なる屈辱。
恥ずべき悲嘆。
神々の没落だ!
神々の滅亡だ!
永遠の憤り!
永遠の苦痛だ!
悲惨な運命を作ってしまった。
聖鎧Brunnhilde
(驚いて、盾や槍、兜を投げ出し、ヴォータンの足元に身を投げ出す。
大神に誠実に気遣って。)
父上!父上!
一体如何なされたのです。
貴方の娘を驚かす事は何なのでしょう。
信頼してください!
貴方に忠実な聖鎧がそう願うのです。
(彼女は親しみを込めて、頭を胸に、手を膝の上に置き、心配そうに、寄り添う。)
統智Wotan
(暫くじっと彼女の目を見詰め、その内思わず彼女の巻き毛を緩り優しく撫でる。物思いから醒めて静かに語りだす。)
もし此処で儂が嘆くなら、儂の意思の統制は失われる。
聖鎧Brunnhilde
(彼女もヴォータンと同じ様に静かに語りだす。)
父上の欲する事を、父上の意志としてお伝えくださいまし。
私は貴方自身の意志では在りませんか?
統智Wotan
(非常に低い声で)
儂の秘めている事でも、言葉に語らずとも永久に残る。
だから、儂は儂自身に打ち明けるとしよう。
(ブリュンヒルデの眼をずっと見詰めたまま、一層抑えた、不気味な声で)
青春の愛の悦喜が去ったとき、儂は権力を欲求した。
激しい欲望に駆られ、私は世界を獲得した。
其れと知らず多くの不実を行い、
厄い秘めたるモノさえも契約によって結びつけた。
虚火は狡賢くそれらを誘い込み、そして立ち去った。
しかし、儂は愛を棄てる気には成れなかった。
権力を得ても儂は愛を望んだ。
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だが、夜が産んだ臆病者の土鬼、魔太夫が天の均衡を破った。
奴は愛を呪い、呪いによってラインの耀く黄金と其れに纏わる無限の権力を得た。
儂は奴の作った指環を謀略によって奪った。
が、ライン河には返さなかった。
巨人達が築城した天招殿城の支払いに其れを当てた。
その城から儂は世界を統べ治めた。
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今まで、起きた事を総て知る女が居る。
其れは、お前の母であり、智と地、期を司どる女神沃節だ。
沃節は儂に指環を手放せと警告し、永遠が永遠で無くなる瞬間が来ると預言した。
儂はその終末に付いてもっと良く知りたいと思った。
が、沃節は無言の侭去っていった。
儂は不安に駆られ、
統べる大神である儂は知らねば成らぬと欲し、
世界の懐へ降りて行った。
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愛の神力を以って女神を魅了し、
智の誇りを砕き、知る所を白状させた。
女神は知識を供した代償として私の愛の証拠を得た。
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世界の最も賢い女は、聖鎧、お前を授けてくれた。
儂は沃節によって啓示された、忌むべき神々の終末を避けるべく、
八人の姉と共にお前を戦魂選女として育て上げた。
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対する敵を迎え撃つ為、戦魂選女に人間の英雄を集めるように命じた。
暗い欺瞞の契約により、その勇を制し、
普段は掟に遵う様に英雄達に命じた。
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戦魂選女は激しい戦いに彼らの力を鼓舞し、
嵐へと戦いへと英雄達を誘わねばならぬ。
天招殿の殿堂に豪胆な戦士達を数多く揃えねば成らぬのだ。
聖鎧Brunnhilde
既に多くの英雄達を集めて参りました。
此れからも私達は父上の殿堂に英雄達を満たしましょう。
私達は怠っていないのに何を心配なさるのです。
統智Wotan
(再び、抑えた声で)
全く、別の事だ。
お前の母沃節が警告した事に注意を払ってもらいたいのだ。
魔太夫の軍勢により、我々は存亡の危機に曝されている。
土鬼は烈しい怒りを以って儂を憎んでいる。
だが、その様な闇の軍勢は恐くない。
儂の英雄達がそいつ等を防ぎ勝利を納めてくれるだろうから。
だがあの冥き王が再び指環を手にしたとしたら・・・
話は別だ。
迺ち、天界の崩壊だ!
愛を呪う闇の土鬼だけが、指環の神代力を「神々の敗北」へと導く事が出来るのだ。
儂の英雄達に対する支配力を奪い、逆に英雄達を利用し、儂へと戦わせる事に拠って土鬼が挑んで来るであろう。
それ故に敵から指環を奪い取る方法を画策せねば成らなかった。
嘗て、儂は巨人のした仕事の支払いにこの呪われた黄金を充てた。
今や、その黄金は巨人の一人奇衝嶽が兄を殺し得た宝として守っている。
そして、儂は報酬として支払った指環を復び手に入れねば成らない。
しかし、契約によって支払われた物には、契約よって触れては成らない。
あえて、奪う事をすれば世界を束ね結ぶ力を失う。
それが、儂を拘束する。
契約によって、世界の主となった儂だが、
今や契約によって、奴隷と成った。
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唯一自由なる者が、儂がしてはならぬ事を出来るのだ。
その者は神の恩恵を必要としない者で無ければ成らぬ。
神と関わりを持たず、
恩寵も受けず、
意識せず、
命令も受けず、
儂に許されざる行為を自分の力で行なう者であり、
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助言を必要せず。
忠告を必要とせず。
神の望む行為を成す、英雄が必要なのだ。
神々に逆らい、神々の為に戦う、友にして、敵と言うべき者を、
どうやって見いだせば良いのか?
神の庇護を要せず、自らの誇りを持ち、最も信頼出来る者をどうやって作るべきか?
儂自身の望む行為を自ら行なう事が出来る者を如何すれば・・・
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嗟乎!矛盾だ!
恥ずべき欺瞞だ!
儂は自らの行為、凡てが疎ましい。
儂が働き掛けてしまうと、其処に見いだすのは儂の影ばかり。
儂の為に指環の奪還をする者は儂の意志が存在してはならない。
しかし、儂が創る者は総て奴隷でしかない。
聖鎧Brunnhilde
でも、狼紋の守誉は自ら行動するのではないですか?
統智Wotan
儂は息子と共に森を猛々しく彷徨した。
神々の協議に随わず、大胆な男に仕上げた。
神々の復讐から守るのは剣ばかりだ。
(緩りと苦しげに)
だが、其れが仇となってしまった。
この剣が神の恩寵となったのだ。
護朔は実に明瞭に見透かした事か。
奥は、儂の心の奥底に潜む欺瞞まで見透かすのだ。
奥の意志を尊ばねばならぬ・・・
聖鎧Brunnhilde
では・・・
弟から、守誉から勝利を奪うのですか?
統智Wotan
儂は魔太夫の指環を握った。
浅ましくも其れを維持しようとした。
呪いから遁れ様としたが、今や呪いは儂を捉えて離さない。
儂は愛するものを棄て、
息子を殺さねば成らない。
儂を信頼する者を裏切らねばならない。
(ヴォータンの表情は恐るべき苦痛から、絶望へ変わっていく)
驕りの栄華よ、虚飾の誇りよ!
去ってしまえ。積み上げた物は崩れ去れ!
儂の作品は放棄する。
唯一、欲しい物がある。
其れは滅亡だ、滅亡!
(彼は暫くもの思いに沈む)
そして、魔太夫は終末を齎すべく力を注いでいる。
今やお前の母、沃節の陰なる言葉が甦る。
「愛を斥ける冥き者が憎悪を持って一人の息子を設ける事が在れば、神々の終焉は訪れるであろう。」
近頃、土鬼の噂を耳にした。
人間の女が侏儒の小金に眼が眩み身体を売ったという。
その女は憎悪の種を子宮に宿し、
憤怒の力が陣痛の苦しみを与えている。
愛を否定する者に奇跡が起きたのだ。
しかし儂が愛した女が産んだ子は自由ではなかった。
生まれ出土鬼の仔よ!
我出産祝いを受け取れ!
わしが心から嫌悪する「神々の栄光」というガラクタをお前に遺産として贈る。
お前の欲望で喰い散らかすがいい!
聖鎧Brunnhilde
(驚いて)
於戯!父上仰って下さい。
貴方の子は何をすれば良いのですか?
統智Wotan
(苦々しく)
護朔の為に働け!
奥が選んだモノは儂が撰んだモノでもある。
儂の自由意志など何に成る?
決して自由に成り得ないのだ。
聖鎧Brunnhilde
父上!その言葉を取り消して下さい。
思い直してください。
父上は守誉を愛しておられです。
私は父上の為狼紋を御守り致します。
統智Wotan
お前は守誉を殪し、豺章を勝たせるのだ。
よく気を付けろ!
そして、渾身の力を込めよ!
お前の勇気を結束し、必死で戦え!
守誉は不敗の神代剣を持っているぞ、甘く見ては成らぬ。
聖鎧Brunnhilde
父上は常々私に弟を愛せよと教えられました。
(極めて、暖かく)
高貴な魂を持ち父上にとって大切なその人を葬り去れ、
という言葉は矛盾していて納得出来ません!
統智Wotan
何だと!
知った口を利くんじゃ無い!
お前は儂の意志に従順に遵う以外何が出来る?
儂はお前と語り告げるため身を低くしたが。
だからと言って、私の創った物から口答えされるほど落ちた訳では無いぞ!
娘よ儂の怒りを知っているか?
儂の憤怒がお前を砕けよとばかりに落ちればお前の勇気など何の役にも立たぬ。
儂の胸に納めた怒りが爆発すれば笑いと喜び溢れた世界は恐怖と荒廃へ代わる。
逆鱗に触れる者に禍在れ!
儂に逆らう者は壊滅する。
お前に宣告する。
儂を怒らせるな!
儂の命ずるとおりにせよ!
守誉を葬れ!
其れが戦魂選女の仕事だ!
彼は激しい勢いで去り、山中へ消える。
聖鎧Brunnhilde
驚き、呆然として立っている。
戦いが父上を怒らせる事が在っても、
彼女は激しく興奮して、前方を見詰めている。
この様な大神のお姿は見たことが無い。
彼女は悲しみに沈んで身を屈め、武器を取り上げる。そして其れを身に着ける。
今日は武具がとっても重い。
喜んで戦いに赴くとき、あれほど軽い物は無いのに、
忌まわしい戦いは心を重く苛む。
彼女は意気消沈して前方を見詰め、溜息を吐く。
不憫な弟、妹よ。
深い悲しみの中で父を信じ尽くしている弟を殺さねば成らぬなんて!
彼女は緩り背景の方へ向かう。
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