Dritte szene第三場
ジークムント一人。
すでに夜はふけている。
広間は、暖炉の仄かな火で照らされている。
ジークムントは、火の近くに腰を降ろし、内心の激しい興奮に、暫くの間沈黙して考え込んでいる。
守誉
Siegmund
父上は私の死地の際に最強の剣を手に入れると預言し約束してくださった。
敵の家に、手にする武器も無く
奴の復讐の生贄として此処にいる。
だが、此処で見た女性は気高く美しい。
心はその人に対し恐れと戸惑いに満ち、
憂いと憧れが苦しめる。
あの男はあの人を虜にし、
武器無き私を嘲る。
狼冶!狼冶!
剣は何処に在るのです。
嵐の中に振り上げ、
心の怒りに任せ、断つ。
その強い剣は?
暖炉の中の火が崩れる。
燃えあがった焔の鋭い光が、突然、トネリコの幹の、ジークリンデの視線が示した場所にあたる。
そして其処には剣の柄が突き刺さっているのがはっきりと見える。
焔に煌くあれは何だろう?
トネリコの幹から耀くあれは?
盲しいたる目にも映える耀きは・・・
かの光は心を奮い立たせるような・・・
あれはあの美しい女の眼彩の光であろうか。
あの人が此処を去る刻残した物であろうか?
この時から、炉の炎は、次第に衰えていく。
あの女の眼彩の光が私の目を蔽っていた闇を取り払った。
暖かさと、明るさを取り戻し、日差しは私を包み幸せにした。
やがて陽は山々に隠れていった。
火が新たに弱く光る。
別れる時あの人はもう一度私を照らしてくれた。
その光はトネリコの幹さえも黄金の輝きに変えたほどだ。
今や、その耀きは失せ、光も消えた。
闇が私を蔽い胸の奥に光り無き焔が燃えている。
火は統べて消え、完全な闇となる。
脇の寝室の扉が静かに開き、白い着物を着たジークリンデが出て来て、静かに、早足で暖炉に近付く。
瑞誉
Sieglinde
起きていらっしゃいますか?
守誉
Siegmund
(喜悦と驚きで立ち上がる)
誰です。
瑞誉
Sieglinde
(密やかに早口で)
私です。聞いて下さい。
豺章は深く眠っています。酒に眠り薬を入れたのです。
此の夜に紛れ運をお開きください。
守誉
Siegmund
(情熱的に遮りながら)
貴方の傍にいられるのは幸せです。
瑞誉
Sieglinde
貴方に相応しい武器のありかをお教え致します。
吁嗟! 其れが貴方の手することが出来るなら・・・
紛れも無い勇者のみに限られた強い剣が在るのです。
其れを手にすることが出来るなら、貴方は真の勇者となりましょう。
私のいう事を良く聞いて下さい。
豺章の屋敷に宴の為に一族の輩が集まった夜の事です。
豺章は盗賊から女を買い、それを奴隷妾としたのです。
物として扱われる女には意志は存在しませんでした。
人々が酒宴を張っている間私は悲しく坐っていました。
其処へ見知らぬ灰色の老人が入ってきたのです。
紺色のマントを纏い深く被った鍔の大きい帽子が片目を隠していました。
残る一つの瞳は居並ぶ人々に恐怖を与えたのです。
老人の恐ろしい瞳は男達を不安に陥れましたが、
何故か私には懐かしさが込上げ、慰めと涙を与えてくれたのです。
老人は私を見詰めて、其処に座する者を見渡し、
一振りの剣を懐から翳し揚げ、
あの?の幹に衝き抜けよとばかりに深く刺し込んだのです。
「是を幹から開放する者にこそ、この剣は与えられん!」
と言い残し去っていきました。
男共は我こそはと言いながら、満身の力を込め抜き取ろうとしましたが、
誰にも出来ませんでした。
尋ね来る客人の中で力を誇る者は、皆試しましたが、ピクリとも動きませんでした。
そしてその剣は此処に其の侭在ります。
哀しみ暮れる私の許へ訪れた人が誰であったか、
そして今、この剣が誰の為に用意され、誰も物に成る為に宿命付けられたかも解りました。
噫噫!今日その人に逢えるなんて!
哀しみくれる運命の私がその人に逢えるなんて!
苦しみ、痛みの中で生きてきたことも、
侮り、辱めに耐えてきたことも、
快い復讐が総てを拭い去ってくれるでしょう。
失った数多くの物を取り戻してくれるでしょう。
哀しみ、呪われた事も総て、総てが贖われるでしょう。
宿命の人に逢えたなら。
私の精華なる人を掻き擁けたら!
守誉
Siegmund
(情熱を込めてジークリンデを抱く)
約束された剣と妻を与えられた者が、今、喜び溢れる人を抱き締めているのです。
私の胸には貴女と出逢うべくして出会う聖なる宿命の誓いが燃えています。
貴女は私が何時も憧れていた女なのです。
貴女が辱めを与えられ、誇りを失った時は。
私が苦痛に喘ぎ、追われる身に陥れられた時は。
今や、待ち焦がれた復讐が私達に微笑みかけています。
妙なる喜悦に身を任せ、心から笑いましょう。
尊き貴女を抱き締め、貴女の心の鼓動に耳を澄まそう。
大きな扉がばたんと開く。
瑞誉
Sieglinde
(驚いて跳び上がり身体を離す。)
あっ!誰か?来たのかしら?
それとも・・・
扉は大きく開いたままになっている。
外は美しい春夜である。
満月が差し込み、その明るい光を二人に投げかけ、二人はお互いをはっきり認めることが出来るようなる。
守誉
Siegmund
(密やかに陶酔して。)
誰も出て行かなかったが、此処に来た者が居る。
御覧、春だ。
春が此処で微笑んでいる。
ジークムントはジークリンデを優しく自分の方へ引き寄せる。彼女は彼と並んで坐る。月の光は一層明るさを増す。
冬の嵐が去り、快き月夜と成った。
仄かな光に佇む春は耀いている。
優しい風に乗り、誘うように軽やかに命を産みながら春は揺れている。
森や野を越え、春の息吹は広がり、
春の眩しさは総てを輝かせ、晴れ渡る。
小鳥の歌は甘く響き、春は素敵な馨しさを廻らす。
春のうねりは美しい花となり、命は菜となり蕾となる。
春は優しき力を以って世界を蔽う。
冬の嵐の攻撃もこの武器には敵わない。
私達を拒もうとする扉も春の力強い一撃には敵わない。
春は妹の許へ訪れた。
愛は春を誘い、
愛は私の中へ還る。
そして、愛は楽しく光り、歌う。
愛である妹を兄である春は戒めを解いた。
今貴女と私を隔てる物は砕け何も無い。
歓びの歌を二人は交わそう。
愛と春は結び付けられた。
瑞誉
Sieglinde
寒い冬に憧れていた春こそ貴男です。
貴男の眼彩が私に注がれた時、
聖なる心で貴男を迎えました。
今までの私の体験するもの総て盲目のようでした。
でも貴男だけは、はっきりと見る事が出来たのです。
私の眼が貴男を見たとき私は貴男のものでした。
私の胸深く眠っていた本当の私が陽の光のように明るく湧き上がり、
私の耳に鳴り響くのです。
まるで凍りついた荒野で初めて友に逢ったかのようです。
彼女は陶酔して彼の首に縋り付き彼の貌を間近に見る。
守誉
Siegmund
(心奪われて)
??!甘い喜悦!
愛しい女よ!
瑞誉
Sieglinde
(彼の眼の近くで)
??!貴男の傍に寄り掛からせてください。
そして貴男の瞳から迸る気高い光、惹きつけて止まない優しい光を見詰めていたいのです。
守誉
Siegmund
春の月影の中貴女は耀いています。
波打つ美しき髪は貴女に気高く巻き付いています。
私は今歓びに溢れています。
それは私を魅了するその女を確り抱き締め、見詰めている事が出来るからです。
瑞誉
Sieglinde
彼の巻き毛を、額から掻き揚げて、驚いて彼を見詰める。
貴男の蟀谷には高貴な血の流れがはっきり見えます。
身が弾ける様な歓びは怖い位です。
今日、貴男に初めて逢ったのに、
前にも逢った気がするのは如何してでしょうか?
守誉
Siegmund
私の見た夢を思い出さずにはいられません
憧れを持って私も貴女を見たことが在るのです。
瑞誉
Sieglinde
川面に自分の姿を映しました。
その姿が貴男を見ていた様な気がするのは如何してでしょう。
守誉
Siegmund
其れこそ私の心に秘めたる貴女なのです。
瑞誉
Sieglinde
(素早く視線を逸らして)
其の侭で!
貴男の声を聞かせて下さい。
その声は子供の頃に聴いた気がします。
いいえ違う!
(興奮して)
森の中で、聞いた木霊と同じ声なのです。
守誉
Siegmund
私の心を魅せるその美しい声よ!
瑞誉
Sieglinde
(再び彼の瞳を覗きこんで)
貴男と同じ瞳の輝きを知っています。
あの老人が私に挨拶をしてくれた瞬間の眼彩なのです。
悲嘆に沈む私に生きる力を与えてくれた、
思わず父上と呼びそうなった、その人の眼彩なのです。
彼女は一旦話を止め、また静かに続ける。
貴男は悲司という名前ですか?
守誉
Siegmund
貴女が私を愛する様になってからその名は不要の物と成りました。
私は得難き至上の悦喜を司りましょう。
瑞誉
Sieglinde
では、由守と名乗っては?
守誉
Siegmund
貴女が望む名を与えてください。
貴女から名を戴きたいのです。
瑞誉
Sieglinde
貴男は父を「狼」と呼んでいたのでしょう。
守誉
Siegmund
臆病な狐共にとっては正に狼でした。
貴女と同じ誇り高い瞳の輝きが宿っていたその人は、
「狼冶」と語り継がれる人なのです。
瑞誉
Sieglinde
貴男の父が狼冶で、貴男が狼紋の血族ならば、
父は貴男の為にその剣を残してくれたのです。
貴男を愛する私は守誉と名付けましょう。
守誉
Siegmund
?の幹に走り寄り、剣の柄を掴んで。
私は守誉、私こそ守誉!
この名に羞じぬ事をこの剣は証してくれよう!
手にするこの剣は死地に擱いて現れると約束した剣だ。
かくも聖なる愛の極限の窮地!
憧れる愛の憧れる窮地の刻!
死中の活が我胸に燃える。
死をも恐れぬ行為へと駆り立てる。
苦境剣!そう名付けてやろう!
苦境剣!怒れる刃よ、その刃の力を我に示せ!
鞘を離れ、我許へ来い!
彼は猛烈な力で、その剣を幹から引き抜く。そして其れを、驚きと清歓で、茫然としているジークリンデに見せる。
狼紋の守誉が、花嫁の前に居る!
婚礼の引き出物としてこの剣を手にしているのだ。
かくて最も幸せな女性に私は求婚しよう。
縛めの家から連れ立とう!
此処から遠いところへ旅立とう!
春の微笑む家へと出掛けよう!
そこでは、守誉が死すとも苦境剣が守り抜く。
彼は彼女を連れ去ろうとして、抱き締める。
瑞誉
Sieglinde
至福の陶酔に満ちて、彼から身を離し、彼と向かい合って立つ。
貴男が守誉ならば、此処に居る私は貴男に憧れる瑞誉です。
貴方は剣と共に妹を得たのです。
守誉
Siegmund
兄とって花嫁にして妹よ!
栄えよ、狼紋の血よ!
彼は激しい情熱で彼女を引き寄せる。彼女は叫び声を上げて、彼の胸に仆れる。幕が素早く降りる。