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アンドレ・フォンティーナスの「象徴主義の想い出」1928、パリ版

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 男寡のピエール・ルイスの部屋。甘く気だるい夏の夕刻のひと時。
微風と花の薫りが開け放たれた窓から侵入してくる。
私たちは美術や文学のあれやこれやを盛んにお喋りしている・・・
ピアノに触れるか触れないかぐらい軽く指を走らせているクロード・ドビュッシーは私達の話題にというよりは自分の思いに没入しているようだ。

 私たちは最近聴いたリヒヤルト・ワーグナーの作品を誉めそやしていた所だったと思う。
 突然緊張を解したとでも言うように、彼の片手から絶妙な、そして即興の音のアラベスクが紡ぎだされてくる。
黒っぽい硬い巻き毛の下、夢見る測り知れない深さの瞳を湛えた長い青白い貌が、物静かでありながら、大胆に、皮肉の色を浮かべながら動きだした。

ドビュッシーは記憶の中から躊躇う事も無く、ミス・タッチも無く、澱んだり弾き直す事も無く、次々とモティーフの驚嘆すべき飛翔を弾き出していった。
 しかも唯、旋律を追っていくと言う感じよりも、表情豊かな、強力な色合いを付けて演奏するのである。
 私たちは、ワーグナー狂だった。
ほんの数年前、ピエール・ルイスとフェルナンド・エロルドの私の三人は『タンホイザー』、『トリスタンとイゾルデ』、それにまだそこでしか聴けない『パルジファル』を聴きにバイロイトを再訪した。
・・・私たちはそれらの作品を称賛し、マラルメが書いているような確信にまで到った。
―――私たちは熱狂的な巡礼者の仲間入りをしていた。
「オオ、ワーグナーよ、貴方の芸術は・・・理想(イデアル)へ向かう人類の旅路の終着点だ。」
 とまで思いを馳せていた。
 しかし、比類なき正確さでオーケストレーションの煌く響きをピアノで再現していたクロード・ドビュッシーは、はたと指を止め、私達の方へ身体を乗り出して、突然、威々高々になり、有無をも言わせぬ調子で糾問した。


「なんだって!君たちには分らないのか?
そりゃあ彼の力は恐るべきものさ。でも、その力にも拘わらずワーグナーが音楽を迷わせたやり方ときたら、不毛で害に満ちたものだ。
 ワーグナーはベートーヴェンから恐ろしい遺産を引き継いだ。概、ベートーヴェンにとって展開の技は繰り返しさ、同じモチーフを何度も何度も反復する事だ。
 『田園』やどんな有名なソナタでもいい、こういうパッセージを聴いてみるといい」
 そう言って彼はピアノに向かい、断片を幾つか弾いた。
「ワーグナーはこのやり方をカリカルチャアと言えるほど強調した。
僕はライトモティーフが大嫌いだ。仮に彼が悪用せず、只管趣味の良い、分別のある使い方をしたとしてもだ。
一つの作品で一つの同じ情緒を二度表現できるなんで考えられるか?
思考が停止しているか、怠慢のどっちかだよ。
リズムや調子の変化で騙されちゃいけない。欺瞞を一層高く買わされるだけの事さ。
分って欲しいな―――僕はモティーフから完全に解放された音楽、あるいは―――唯一つのモティーフだけが続いて他の邪魔が一切入らず、そのモティーフが再現される事も無いという構成の音楽を書ける様になりたい。
その時は、理論的な、モティーフと密接な、演繹的な展開はあるだろう。 
 しかし、作品の特色と核心を示すモティーフが二度繰り返される間隙(かんげき)を急拵えの、余計なもので埋めるなどということはないだろう。
 展開は最早そのような素材の増殖とは違う物になるだろう。
つまり、優秀な授業によって培われる職業的なレトリックでは無くなるのだ。
言い換えれば、展開はもっと普遍的な、要するに心霊的(プシシーク)な次元で行なうことになるだろう。 



ニーチェに負けず劣らすの雄弁ぶりだ・・・
是だけ完璧に弾き熟せるというのはある意味物凄い耽溺してたのだろーな・・・

アイコンロンドンで聴いたワーグナー
Gil plus (ジル・プラス)1903年六月1日より (1)
前半と後半見事に真っ二つに分かれているので
前半はワーグナーと指環に終始し、後半は前半の要素を見事に排除し、歌手とかにスポットを当てているので、前半だけ抜粋させていただきますね。

アイコンロンドンで聴いたワーグナー
Gil plus (ジル・プラス)1903年六月1日より (2)

前半と後半見事に真っ二つに分かれているので
前半はワーグナーと指環に終始し、後半は前半の要素を見事に排除し、歌手とかにスポットを当てているので、前半だけ抜粋させていただきますね。

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