いよいよジークフリートに成りましたが皆さんは付いて来ていますか?

例によって又何か物議を醸し出すようなことを描いているので補足します。

 

私は一時期ジークフリートに嵌り黄昏よりも好きに成ったことがあります。無論長続きはしませんでしたが。

エルダの召喚の力強い歌や(ビアズレ―のように朝起き掛けにワーグナーを聴くといった感じでした)鍛冶場の歌など元気印この上ない曲や森の小鳥が歌う歓喜の曲がとても心地良く毎日聞いていた事がありました。

がしかし見せ場が色々在るのだけれど今ひとつスッキリしない部分があります。引っ掛るとでも言いましょうか・・・・

それはジークフリートの義父(ミーメ)殺しです。

此処に引っ掛る人も多いのではないでしょうか?

確かに自分の利益の為に育てたとはいえ実際にはジークフリートの殺害には到らず、殺害を企んでいる事を告白させられた時点でジークフリートに殺される訳で、事前にヴォ―タンとの賭けでミーメの命が無くなる事(恐れを知らぬ者によって殺される)を伏線で張ってあるにも拘らず微妙にスッキリしない。(オリジナルのヴェルズング・サガ神話伝説には殺害しようとし、実行仕掛けた所で引っくり返される。)

「頭まで筋肉が詰まっている人間的感情を欠乏した(恐れを知らない)
白痴莫迦だからしょうがないンじゃない。」・・・・・・・

     ・・・・・・・・・・・・

      

実も蓋も無い説明で決着が着きます・・・・が是で良いのかと思うわけです。

今までの演出家が誰も描か無かった解釈をしてあります。

ジークリンデは自然死では無くミーメの殺害による死であり、ジークフリートは母親の仇を討ったに過ぎないと。

すると微妙にテキストの言葉が生きてき始めます。

ワルキューレでブリュンヒルデがジークリンデに何時かこの剣を甦らせ、奮わせる人の為にと言ってノートゥングを托されたのに、ミーメ曰く世話してくれた御礼だといって渡す物だろうか?

是は明らかにミーメの嘘の詭弁です。勿論流離い人(ヴォ―タン)とやりあう所ではくすねた剣といっていますし、その点は明らかです。随ってミーメが語るジークフリートの母は(ジークリンデ、シークムントと名前を知っているのにミーメは曖昧(はぐらか)す。事実を自分の都合の良い様に情報をコントロールする。)苦しんだ後死んで逝ったという説明の言葉も怪しくなります。その時点ジークフリートに与えられた情報はミーメのみ、テキスト間の行き来だけで表に現れない分不透明な部分です。

ブリュンヒルデは、ワルキューレにて、彼女の遠見予知で難産の末にうまれると云っていますがその後に関しては言及していない。

ジークリンデの死に関してはジークフリートの観客もミーメの言葉を信用するしかない。
然し彼は嘘吐きである。其処にミーメの疑惑の余地があるように思えます。

もしジークリンデがミーメによって殺害されたならばどうしたであろうか。ミーメの性格から上には諂い下には苛酷なタイプであるがしかし表立って屠す豪胆さは無い。以下このような状況が考えられる。

ジークリンデの後から(寝ている所でもいい)剣で刺し殺し、(毒殺も考えられるけどジークフリートに飲ませようとしたあの飲み物だって睡眠効果が精々だ)河に流したと。(墓もないし)

まるでジークフリート殺害計画そっくり。

ほーらミーメもちんけな小悪党から自分の利益の為女子供(自分より弱い者限定)を平気で殺害する唾棄するような極悪人になってきたでしょう。
(実は更に一寸した味付けもなされているけどここでは触れない)

すると私の中では殺害されたジークリンデが成仏しきれないで恨みを残し自縛霊として此の世を漂うという発想が思いつきます。(このテの発想は日本人だけ?)ジークリンデはジークフリートにとっては守護霊であり、ミーメにとって厄い成す自縛霊となってこの先、絡みだす。(勿論彼女は霊界で修行してないので霊格が低い為守護霊というよりは悪霊に近い。その為バプテスマの池にてヴォータンの鴉によって曳き立てられるわけだが脱線の域にはいるので避ける。)

彼女はミーメの洞窟から登場させても良かったのですが、(ジークフリートと一緒になってミーメを虐る、流離い人が洞窟に入った時に彼女は震え上がり壁にへばり付く仕草等等を加えたかったが)彼女の登場はファフナーの洞窟の場所が依り相応しいと考えます。

ファフナーの洞窟は或る意味彼の宝を狙った者共の夢途中でファフナーに殺されて無念の情が集まる不浄の地であり、不浄ゆえに霊界の門が開いている為、彼女は森の小鳥の姿を依り代にして現れる事が出来たと考える事にしました。

森の小鳥の仕草の裏には自縛霊と化したジークリンデの存在が見え隠れし始めます。(更にその奥にはヴォ―タンの意思があるのだけれど)

小鳥の存在の裏にミーメによって殺されミーメを怨むジークリンデが潜み息づいているとすれば、しきりに小鳥がジークフリートに殺人教唆している点に納得がいきませんか?

母親のせめてものお節介のようにも聞こえませんか?

様々な演出家が森の小鳥をビジュアライズしていますけど、森の小鳥が死したジークリンデであり、彼女が小鳥の傀儡師として解釈したのはありません。

 

随ってミーメがジークフリートの殺害を仄めかすシーンではジークリンデの殺害のリフレインという解釈がなりたち、ジークフリートには見えないジークリンデがミーメによってもう一回殺害される状況を心で見て過去に何かが在ったのを感じ、死したジークリンデと一緒になって(後押しが正しいか?)ミーメを殺す。

母の復讐のため仇を討つことで、ミーメ殺害の正当性が生まれてくる。

だが然し彼女の霊の存在は天の生命輪廻の法に抵触するため、焔の山に向かう途中彼女はヴォータンの2匹の鴉により冥界に連行される。

穢れを払う神事と考えるか炎の洗礼(バプテスマ)を受ける前の準備と考えるかジークフリートの母離れと一人立ちと解釈するか。

後は精神的母親であるブリュンヒルデと結ばれるだけですが、(肉体的にも母親に近い。ジークリンデはブリュンヒルデの妹だもの)女性であると確信するのは胸だけでは余りにも詰まらないし余りにありきたりなので丸裸にした位です。単に“でぶ”った男でも胸在りますし(均整の取れた美しい胸は女性だけの物では或るのだけれど)、初めて人間の女を認識する場合陰茎が在る無しがより根本的な問題ではないかと思う。但しこの表現は劇場演出では表現しきれないので絵の世界ならではのものです。(映画だったら可能かな・・・。でも機会が在ればとことん恐れを知らず積み上げて創ってみたいとは思う。)

単に生まれて初めて女性の股間を見て貌を赤らめ、気が動転しているジークフリートを描いてみたかった個人的意向だけです。

 

ジークフリートが好きな故の愚考、愚行、蛮行と思って許してください。

 

次は神々の黄昏です。

ps・ジークフリートの追記もあります。
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