ニーベルングの指環
第一夜 ワルキューレ
Der Ring des Nibelungen
Die Walkure
全3幕
「エッダ」のヴァルキュリァの目覚めの前の部分相当し、原文は散逸し、存在しない。
神々の長 : ヴォータン
ヴォータンとヴェルズング(狼)族の女性との間生まれた子 :
ジークムント
ジークムントの双子の妹 : ジークリンデ
ジークリンデの夫 : フンディング(犬)
ヴォータンの娘、ワルキューレの一人 :
ブリュンヒルデ(鎖帷子)
ヴォータンの妻、婚姻と復讐の女神 :
フリッカ
ヴォータンとエルダの娘ワルキューレ達
ヴァルトラウテ(戦)
グリムゲルデ(凶暴)
ジークルーネ(勝利)
オルトリンデ(鏃やじり)
ゲルヒルデ(槍)
シュヴェルトライテ(剣)
ロスバイセ(馬)
ヘルムヴィーゲ(兜)
第一幕
嵐の晩、大きなトネリコの木を柱にした森の一軒家に憔悴しきった若者が前触れも無くはいってしまいます。
この家の主フンディング(犬族)の妻、
ジークリンデは突然の侵入者に怪訝ながらも、
危害を与える人間ではなさそうなので、
近づいていきます。
若者は炉の前に倒れ込み、
水を乞います。
角杯に汲んできた水を一気に飲み干す若者は、
ひどく疲れてはいるものの、
その面影に何か心惹かれるものを感じます。
若者は自分には不幸が付きまとい、
優しく接してくれた貴女まで巻き込みたくは無いといって立ち去ろうとします。
ジークリンデは、
不幸が支配する家にはこれ以上の不幸を持ち込むことは出来ないと告白し、
この家に留まっていくよう懇願します。
嵐は次第に収まり、
二人の間には不思議で、
懐かしいような、
沈黙が流れます。
やがてフンディングが家にもどってきました。
炉辺に佇んでいる若者を認めると、
その眼に自分の飼っている妻と同じ眼をしていることに大いに驚きますが、
流石は大人表情に出しません。
フンディングは自分の妻のそわそわ振りが気に入りません。
妻に食事の支度を言いつけます。
フンディングの勧めで卓についた若者は、
二人に請われる侭、問われる侭に身の上を語りはじめました。
幼い頃、父と母と双子の妹がいたこと。
父親のヴォルフェ(狼族)勇猛で敵も多かったためにたびたび襲撃に遭い、
ある日狩りに出かけ留守にした隙に、
家が襲撃され、
母は殺され、
家は焼かれ、
双子の妹とは生き別れになってしまったこと。
その後父親と二人で森で暮らすようになったこと。
しかし敵は執拗に追い縋り、
ある夜、炎の中に父の姿を見失ってしまったこと。
そして残されたのは父の愛用していた狼の毛皮だけだったこと。
そして、それ以来天蓋孤独の身の上であること。
森を出て、人里にて、好まざる結婚を強いられた娘に助けを請われたこと、
迫り来る追っ手を捌いている内、
その娘の肉親までも殺してしまったこと、
そしてその失った肉親を嘆き悲しむ娘を守りきれず戦場で喪ったこと。
じっと聞いていたフンディングは、
自分がその親族の一人であり、
その敵討ちに参加していたことを告げます。
今夜ひと晩の宿は貸してやろう。
だが、日が明けたなら武器をもってわが身を守るがよい・・・・
フンディングが寝室に引き篭もったところで、
残された若者は父に祈ります。
父の名を若者は叫び、父に訴えます。
父が約束してくださった剣は何処にあるのか、
絶体絶命極まった時に与えられるという必勝の剣はと。
暖炉の焔の崩れ落ちる瞬間
焚き木の輝きがトネリコの巨木の幹に刺さった一本の剣を照らし出しました。
そのとき夫の寝酒に眠り薬をまぜたジークリンデが、
若者のもとに戻ってきました。
ジークリンデは思慕のこもった眼差しで見つめ、
此処にはある約束の剣があることを語りだします。
彼女はかつてフンディングの一族の山賊達に略奪され、
その後フンディングと結婚させられた(に買われた)過去を語ます。
そのとき婚礼の席にどこからともなく隻眼の老人があらわれ、
トネリコの幹に深々と剣を刺していったこと、
誰もその剣を引き抜くことができないでいることを語り、
真の勇者のみがその剣をトネリコの幹から開放することを許された挑戦者であると告げます。
若者はこれこそが父が自分の為に残した約束の剣であることを悟ります。
そして自分の目の前に居るのが名を語らずとも、幼いときに生き別れた妹であることを悟ります。
そしてそれが定められた宿命だと。
一方ジークリンデも同じです。
目の前に立つ者が幼いときに生き別れた兄であり、
自分の婚礼に父が尋ね、
その兄の為に宝剣を此処に残していった預言の成就の奇跡に感涙打ち震えます。
意を決した若者はトネリコの剣に腕を伸ばし剣を「ノートゥング」(苦境の子)と名づけ、
とうとうその幹から開放します。
二人は歓喜に噎びながらフンディングの館を後にします。
第二幕
切り立った岩山の上からこの様子を眺めていたヴォータンは、
ジークムントを加勢しようと、
ワルキューレである愛娘ブリュンヒルデに地上へ赴くように命じます。
そこに物凄い剣幕で羊の輿を急がせるフリッカの姿が見えます。
当り散らされている羊の様子から相当お怒りのようです。
ブリュンヒルデはお父様の出番ですよ、
おきばりやすと言い残し、
準備の為立ち去ります。
入れ替わりに主神の后であるフリッカが現れます。
婚姻の女神として、
不倫でしかも近親相姦というとてつもない許されざる愛に走った二人を見逃すわけにはいかない。
しかもジークムントとジークリンデは、
あなたが密かに人間の女と通じて身ごもらせた双子の兄妹ではないか。
二人の愛を祝福するということはすなわち妻である自分の立場を蔑ろにするものではないのか。
思わぬ強い言葉の洪水にたじたじとなったヴォータンは、
妻の激昂を和らげ、なだめるように説きます。
たしかに歓迎されるべきものとは言えぬが、
春の愛の魔力が二人を魅したとしても、
それは致しかたの無い事。
それよりも呪われた指環のせいで神々に訪れようとしている危機を払拭するためにも、
人間界の戦士、神の意志さえ超えた人間の英雄が必要なのだと説きます。
フリッカは反駁します。
神々の運命を左右するほどの人間の英雄に、
身を護るための神威の剣を与えたのはあなたではなかったのか?
人間界に降り立ったあなたはヴォルフェという名をいたく気に入り、
好んで英雄に苦悶の神仕組みを与え、
それが成長するさまを天上から窺っていた。
つまるところあなたは英雄ではなく、
自身の操り人形を拵えて、
いいように動かしていたに過ぎない。
あなたの荒淫の結果の娘達でさえ私の前に首を下げた。
操り人形に貶められるのはもう沢山です。
私はフンディングの訴えを聞きいれ、
婚姻の絆を蔑ろにする輩には死を持ってが相応しく、
そのような者に勝利を与えるなど、
私を人形以下に貶め蔑む行為であり、
其れを認めてしまったら、
いと浅ましい神々の没落でしょうと、
論破します。
フリッカの言っていることが窮めて正論なため、
ジークムントの運命を変えてしまうことをヴォータンは誓わされます。
こうして契約は成立し運命は変えられてしまいました。
フリッカが立ち去ると、
指示を待っていたブリュンヒルデがあらわれました。
沈んだ表情の父を気遣うブリュンヒルデに、
ヴォータンはこれまでの経緯を語りはじめました。
愛を拒絶されその腹いせに権力に眼を向けたニーベルング族のアルベリヒという男がいた。
その男はラインの黄金を鍛えて指環に造り替えた。
ラインの黄金で指環を作る証としては愛を否定したものだけが許される。
それゆえに世界の支配する力を指環の主に与えるという。
儂は奸計をもってアルベリヒから奪い取り、
それを巨人達の築城の支払いにあてた。
指環だけは浅ましくも手放すそうとはしなったが、
指環を手放せと警告した智の神エルダの預言に従って巨人達に城の代金として与えたのだ。
しかし世界を知る賢女エルダの預言、
神々の命運が終焉に近づいているといった言葉に深く囚われた儂は、
真相を知るべくエルダのもとに尋ねた。
儂は愛の魔力をもって彼女から知識を引き出し、
彼女はその証としてお前達九人の娘を生んでくれた。
儂はお前たちを、
戦場で戦死した勇敢な者の魂をあつめるワルキューレとして育て上げ、
その戦士たちでヴァルハラを護り、預言された神々の黄昏から逃れようとしたのだ。
いまは指環が巨人の手にあるからまだいい。
だがいずれ烈しい怒りにかられたアルベリヒの軍勢がこの天上の世界に及ぶことを儂は怖れる。
だからといって契約として支払った指環を、
巨人から奪い取ることもできない。
そこで儂は一計を案じた。
神々の契約にとらわれない人間界から英雄をつくりあげること。
神の意志からは自由だが、
儂の希望を自らの希望として夢みることのできる者。
それがジークムントだったのだ。
しかし、妻の言の通り、
結果的には儂は儂の奴隷をつくっていたに過ぎぬ。
儂の与えた剣が神の恩寵となり、
降りかかる復讐の刃をその剣がジークムントをまもってしまったら、
その時点で儂の息子は自由な者ではなくなり単なる奴隷となりさがってしまい、
神々の危機を防ぐ力を失う。
全て、総て、凡てが無意味なのだと。
ブリュンヒルデは、それでは弟に与える勝利の約束を反故してしまうと、
一度は反抗しますが、戦神の激しい怒りに遭い、自分の弟を殺すことに同意します。
一方森の中を彷徨っていたジークムントとジークリンデの二人は迫りくる追っ手の恐怖から逃れようとしていました。
しかし、ジークリンデは疲れから錯乱状態に陥り気を失います。
そこにブリュンヒルデがあらわれます。
彼女は自分の母親違いの兄妹の兄のほうに死の告知をします。
戦場で死して、父ヴォルフェ(狼族)のいるヴァルハラに栄誉とともに迎え入れよう。
ジークムントは尋ねます。
ジークリンデも共に浄土にいくのかと。
彼女はそれを否定し、運命は今やフンディングのものであると。
ジークムントは受け入れられません。
ジークリンデと共に暮らせない世界などに意味は無い。
自分が死ぬことが変えられぬならば、
残されたジークリンデに未来は無い、
この手で葬るまでだといい、
今や裏切りの剣と化したノートゥングを彼の妹の胸に翳します。
この言葉に深く心を揺り動かされたブリュンヒルデは、
勝利を約束しながらそれを反故にしてしまう自分を恥て、
父の命に背いてジークムントの力になることを決意します。
間もなく二人を追ってきたフンディングがやって来ます。
そして闘いの場へと。
ジークムントがブリュンヒルデの力を得て、
フンディングの胸にまさに剣を突き立てようとしたその時、
突如としてあらわれたヴォータンが槍でジークムントの剣を打ち砕きます。
身を守る術を失ったジークムントは其の侭、
態勢を立て直したフンディングの刃に罹って殺されます。
最愛の息子であった者が契約と秩序のために、父親自ら手を下され、息絶えました。
驚愕したブリュンヒルデは、
放心状態のジークリンデを馬に乗せます。
父ヴォータンが息子ジークムントの死を悼んで茫然自失している所に、
そっと神威の剣の破片を集めて、急いでその場から去ります。
己の行為の愚劣さに憤ったヴォータンは、
返す呪いの言葉でフンディングをも殺してしまい、
命に背いたブリュンヒルデを追います。
第三幕
ある岩山には天馬に跨ったワルキューレたちが、
戦場から戦士の亡骸を引き連れて集合しています。
次々とワルキューレ達が揃い始めます。
此処で「駐騎」し、全員が揃った所でワルハラに帰還するのです。
全員が揃ってワルハラに入城しないと戦神である父が納得しないのです。
やがてワルキューレたちが集うなか恐ろしい勢いで天を駆るグラーネが見えます。
ブリュンヒルデです。
ワルキューレたちがブリュンヒルデの鞍を見ると、
彼女は戦士ではなく人間の女を乗せていたのです、
彼女達は大いに驚き、ブリュンヒルデに問い詰めます。
ブリュンヒルデは後ろを何度も振り返り、
追っ手のこないことを確かめては、
姉妹のワルキューレ達に自分と馬に載せてきたジークリンデの助けを乞います。
顔を見合わせて訝る姉妹に父ヴォータンに逆らった経緯をブリュンヒルデは説明します。
ブリュンヒルデは姉妹達にヴォータンから逃れるために疲れ切ったグラーネの代わりになる馬を貸してくれるように頼みますが、
彼女達は父の怒りを怖れて、みな顔を背けます。
その時ジークリンデがようやく状況を把握し、言葉を語ります。
ブリュンヒルデの差し伸べる手を拒むと、
兄の亡き今、この世に未練のあろう筈はない、
この場で一突きに殺してほしいと懇願します。
しかし、ジークリンデの胎内に新しい命が宿っていることを知っているブリュンヒルデが、
彼女にそのことを告げ、愛のために生き抜くことを迫ります。
希望の光に満ちたジークリンデは、
ワルキューレたちの勧めで、巨人ファフナーの住む森へ逃げルことを決心します。
ブリュンヒルデは、ジークリンデにいつか再び甦らせるよう神威の剣の欠片を手渡すと、
生まれた子にジークフリートと名付けるように言祝ぎします。
ブリュンヒルデはエルダの娘であるのですから。
激昂したヴォータンがワルキューレたちの集う岩山に登ってきました。
ワルキューレたちは恐怖に慄きながらブリュンヒルデを庇いますが、
父の怒りを鎮めることはできません。
ブリュンヒルデをワルハラから追放し、通りすがりの男に犯されるというヴォータンの言葉にワルキューレたちは悲しみの声をあげます。
さらにブリュンヒルデに加担する者は同じ運命になろう。と脅迫すると彼女達は、怖れ嘶き、彼女達の姿は叢雲に消え去ります。
日は黄昏れて夜になりました。
岩山で対峙するブリュンヒルデは父に問います。
自分の罪は神の座から堕る程の罪だたったのでしょうかと。
落ち着きをとり戻したヴォータンはその自分の苦悩を語りはじめます。
ブリュンヒルデはたしかに紛うことなく父の真意を汲み、
ジークムントを助けたのです。
しかし、自ら招いた矛盾と欺瞞の中に苦しむヴォータンが望んでやまなかった勝利の美酒を干したのもまた、
ブリュンヒルデだったのです。
契約こそ彼の権力基盤のため、
情に屈せぬ契約の厳しさをくどくどと説きます。
神々の長ヴォータンの命に抗らったものは罰を受けねばならぬ。
愛の力によろこび選んだお前は愛の前に従え。
お前を長い無防備な眠りのなかに閉じ込めよう。
そして最初にお前を目覚めさせ、
処女を奪った者の奴隷となり朽ち果てるのだと……。
打ち挫がれたブリュンヒルデは、こう訴えました。
私を誰にでも容易く手に入れられるようにしてしまうのは、余りにも酷い仕打ちです。
どうしてもと仰言るのでしたら、
せめて私の周りに灼熱の炎を燃え上がらせて、
臆病者には手を出せぬように取り計らって下さい。
更にこう言い添えます。
父の残した血の遺産には臆病者など生まれる筈もありません。
そしてその血を受け継ぐ者には父の残した不敗の神威の剣があり、
いつの日かそれを甦らせるでしょうと。
そうでなければ塵芥として今この場で殺してくださいと懇願します。
愛娘の最後まで自分を思ってくれる心意気と最後の願いに感動したヴォータンは、
別れの接吻でブリュンヒルデの神性を外すと、眠りに就かせます。
契約の槍の穂先に導かれたローゲの焔が瞬く間にブリュンヒルデの寝姿を覆いました。
神である儂よりもさらに自由な者のみが、この花嫁を得るがよい。
儂の槍を怖れる者はこの炎を越ゆることをゆるさん!
ブリュンヒルデを包みながら燃えさかる炎の陽炎にゆらめくヴォータンは何度か振りかえりつつその場を去っていきます。