作者戯言(たわごと)らしきもの

この作品の解釈は基本的には

大人の為の前代未聞の長さをもつ絵本か

延べ15時間に及ぶ巨大な楽劇を聞きとおす・

回りくどいテキストを見通す為のテキストの変形か・・・ですが。

日本人である私がバイロイト音楽祭にて指環の演出をしたらこうする・映画にした場合(ジィベルベルグ風では在るのだけれども)このように作品を作るという意志のもとに作成されたとっても無謀な絵コンテと思って下さって結構です。

無論「ワーグナーの音楽は女子(おんなこども)供の聴くもんじゃネェー」と思っているので、未成年禁止です。

酸いも苦いも判った人の為の物です。

 

私がこの一連の絵を描き出した切っ掛けはフランスに遊学していた時バンド・デシネでニーベルングの指環を読んだ時です。

ラッカムに比べ正直その絵が余りにも酷かったが感想です。

 

「なんじゃこりゃ?」

 

バンド・デシネ好で、その当時かなりコレクションしていた私でもこんな絵だったら要らんし、買わんと思いました。

ムボーにも「こんなに酷かったら俺が描いちゃル!」と更に思うくらい酷かった訳です。

 

かくて音楽に酔い痴れながら私の悪戦苦闘が始まったのですが・・・・

元々この絵を描き始めたのは黄昏の絵をスケッチブックに描き殴っていたのがはじめでした。

音楽がカッコいいところを中心に絵にしていたら、(ジークフリート死の葬送曲とか、ハーゲンの悦喜のシーンとか)(アーサー・ラッカムのようにイラストを組み立て並べた感じ)その侭バンド・デシネにしてみた方がいいかもしれないと思い、ラインの黄金から始めました。

 

描き進んでいる内この作品を自分で演出プロデュースしたら、この様に解釈するという考えが浮かんできて、その他色々な文献を漁っているうちダーク・エイジの年代設定を離れて当代演出的解釈でもいいのではないかと思いかなり自由にしています。

だからと言って手を抜いた訳ではなく、逆に細やかな心配りが必要になり、絵のライト・モチーフ的要素が出てきてしまい、さらには其処に到るバック・ストーリィまで設定する始末。勿論没原稿が山に・・・・

何回描き直したか。


こ・こ・こんな筈じゃ・・・・なかったのにと思いつつ黄昏編に辿り着きました。
ワーグナーの音楽同様テキストもとっても回りくどくテキストから入っていった人々も途方に暮れる様な・・・同じ事をクドクドと何回も言うナーーーーと叫びたい人もいると思う。

ワーグナー流のライトモチーフの根本は、守・破・離です。

誕生して成長して、老衰して、とその変化を愉しめる様になる為にはかなり聴き込まないと一般の人々には曲がダラダラと長くて触りがチョロチョロと出て来てもっとハッキリせんかいと怒る方もいると思う。

北欧神話を下地として頭に入っている状態とそうでない人との解釈度は雲泥の差に近いものがあるため其処でかなり挫折してしまう人々も。

その点絵はとっても解り易いと思います。

 

そう云う意味では私の絵にはかなりどぎついエロが漂っています。

エロスと言うのは異質な物を繋ぎ合せる働きがある為、(出典ギリシャ神話)敢えて採用しました。

でもその向こうにニュクスを感じていただけたら幸いです。

その他アーティストの方々の方がもっと良い絵が描けたかも知れません。

少なくともあの当時私が感じた無残な思いは読者の方々には絶対させません。

私よりもっと巧い絵が描けると自負する方、
「ニーベルングの指環」の解釈がまちがっとる
と思われた方

どうぞ挑戦をしてみて下さい。

「ニーベルングの指環」はもっと多くの作家さんが挑戦しても良い作品だと思っています。